フィリピン
{{基礎情報 国|
|略名 =フィリピン
|日本語国名=フィリピン共和国
|公式国名 =Republika ng Pilipinas(タガログ語) Republic of the Philippines(英語)
|国旗画像 =Flag of the Philippines.svg
|国章画像 =ファイル:Revised-Coat of Arms of the Philippines.png
|国花 = サンバギータ
|国章リンク=フィリピンの国章
|標語 ={{lang|tl|Maka-Diyos, Maka-Tao, Makakalikasan at Makabansa}} (タガログ語: 神、国民、自然、国への愛情のために)
|位置画像 =Philippines (orthographic projection).svg
|公用語 =フィリピン語(国語)、英語
|首都 =メトロ・マニラ
|最大都市 =ケソン
|元首等肩書=フィリピンの大統領
|元首等氏名=ベニグノ・アキノ3世
|首相等肩書=フィリピンの首相
|首相等氏名=なし
|面積順位 =70
|面積大きさ=1 E11
|面積値 =299,404
|水面積率 =0.6%
|人口統計年=2008
|人口順位 =12
|人口大きさ=1 E8
|人口値 =91,983,000
|人口密度値=287
| GDP統計年元 =2008
| GDP値元 =7兆4,975億[IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧(http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=81&pr.y=12&sy=2008&ey=2008&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=566&s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a=)]
| GDP統計年MER =2008
| GDP順位MER =48
| GDP値MER =1,685億
|GDP統計年 =2008
|GDP順位 =25
|GDP値 =3,203億
|GDP/人 =3,546
|建国形態 =独立 - 宣言
- 承認
|建国年月日=スペインから 1898年6月12日 アメリカ合衆国から 1946年7月4日
|通貨 =フィリピン・ペソ
|通貨コード=PHP
|時間帯 =+8
|夏時間 =なし
|国歌名 =最愛の地
|ISO 3166-1 = PH / PHL
|ccTLD =.ph
|国際電話番号=63
|注記=
}}
フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく)、通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家。16世紀のスペイン君主一覧フェリペ2世 (スペイン王)にちなんだ国名の国である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んでベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海が、西には南シナ海が南にはセレベス海が広がる。首都はメトロ・マニラ。
国名
正式名称は、Republika ng Pilipinas (フィリピン語: レプブリカ ナン ピリピーナス)、Republic of the Philippines (英語: リパブリク オヴ ザ フィリピーンズ)。略称は、Pilipinas(フィリピン語)、Philippines(英語)。日本語表記による正式名称の訳は、フィリピン共和国、通称はフィリピンである。かつてはフイリッピン、ヒリピンという表記もなされていた。漢字では、比律賓と表記され、比と略される。
国名は、1542年に、スペイン皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世 (スペイン王))の名から、スペイン人のコンキスタドールによってラス・フィリピナス諸島と名づけられたことに由来する。
歴史
{{main|フィリピンの歴史}}
先スペイン期とイスラームの流入
ファイル:Boxer codex.jpgフィリピンの歴史は多様な民族とカトリック教会によって織りなされてきた。
フィリピン諸島で最も古い民族は25,000~30,000年前に移住してきたネグリト族。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー。そして紀元前500年~紀元13世紀の間に移住してきたマレー人である。
スペイン人来航直前の頃は中国(明)や東南アジアとの交易で栄えイスラム教が広まったが、7,000を超える諸島である現在のフィリピンに相当する地域では統一した国家は形成されていなかった。西方からやってくるヨーロッパ列強に東南アジアが次々と植民地化される中、スペイン艦隊は太平洋を横断しメキシコから到来する。
スペイン植民地時代
{{main|フィリピン総督領|:es:Capitanía General de las Filipinas}}
[[ファイル:Jose rizal 01.jpg|thumb|200px|left|フィリピンの独立指導者ホセ・リサール]]1521年、セブ島にポルトガル人の航海者フェルディナンド・マゼラン(マゼラン)がヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達した。マガリャンイスはこのとき、マクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃され戦死した。やがてスペインなどの航海者が来航するようになり、1565年にはスペイン領ヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)を出航したコンキスタドールミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を領有したのを皮切りに、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を含む諸島の大部分が征服され、スペインの領土となった。しかし南部への侵攻は18世紀と遅く西南ミンダナオ島、スールー諸島、南パラワン島では、スールー王国をはじめとするイスラム勢力の抵抗に遭い、最後まで征服できなかった。
スペイン統治下で、メキシコやペルー、ボリビアから輸入した銀や、東南アジア各地や中国(清)の産物をラテンアメリカに運ぶ拠点としてガレオン貿易が盛んに行われた。フィリピンではマニラ・ガレオンと呼ばれるフィリピン製の大型帆船がたくさん建造され、メキシコのアカプルコとアジアを結んでいた。
ヌエバ・エスパーニャ副王領の一部となった植民地時代に、布教を目的の一つとしていたスペイン人はカトリック教会の布教を進めた。スペイン人は支配下のラテンアメリカと同様にフィリピンでも輸出農産物を生産するプランテーションの開発により領民を労役に使う大地主たちが地位を確立し、民衆の多くはその労働者となった。支配者であるスペインに対する反抗は幾度となく繰り返されたが、いずれも規模の小さな局地的なものであり容易に鎮圧されてしまった。
独立運動が本格的になるのは、19世紀末、フィリピン独立の国民の父とされるホセ・リサールの活躍によるところが大きい。1898年、米西戦争勃発により、アメリカ合衆国はエミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため支援(しかし、実際は後に判明するように、アメリカ合衆国がスペインからフィリピンを奪って自国の植民地にすることが目的だった)した。6月12日、アギナルドを大統領として独立宣言がなされた(フィリピン第一共和国)。
第一共和国とアメリカ合衆国植民地時代
{{main|フィリピン独立革命|米比戦争|}}
[[ファイル:Battle of Paceo.jpg|thumb|260px|米比戦争を描いたアメリカ合衆国の絵画『パセオの戦い』]]米西戦争で独立を果たしたのもつかの間、1899年のパリ条約 (1898年)によりフィリピンの統治権がアメリカ合衆国に渡る。1899年1月21日にフィリピン第一共和国がフィリピン人によって建国された。フィリピン共和国の建国を認めないアメリカ合衆国による植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人が無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。アギナルドは米軍に逮捕され、第一共和国は崩壊し、フィリピンは旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共にアメリカ合衆国の主権の下に置かれた。
その後フィリピン議会議員マニュエル・ケソンの尽力で、アメリカ合衆国議会は1916年ジョーンズ法でフィリピンに自治を認めた。1934年アメリカ合衆国議会はフィリピン独立法で10年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾しフィリピン自治領に移行した。
第二次世界大戦
{{main|フィリピンの戦い_(1941-1942年)|フィリピンの戦い (1944-1945年)}}
第二次世界大戦中の1941年12月に日本軍がマニラに上陸し、翌1942年中に占領した。日本軍政下のフィリピンでは軍票乱発による経済混乱がフィリピンの民衆を苦しめ、日本軍に抵抗する目的を持った連合軍系のユサフェ・ゲリラと共産系のフクバラハップが各地で勢力を拡大し、抗日ゲリラ戦争を行った。これに対し、日本は支配を安定させるために1943年にホセ・ラウレルを大統領として、フィリピンを独立させた(フィリピン第二共和国)。しかし、ラウレル政権は必ずしも日本の言うことを全て聞き入れた訳ではなく、地主支配の維持を図ったために、アルテミオ・リカルテのようなフィリピン親日派からも離反が相次ぎ、新たなる親日組織マカピリが設立された。1944年にアメリカ軍が反攻上陸すると、フィリピン・コモンウェルスが再び権力を握った。この戦争によって110万人のフィリピン人が犠牲となり、マニラに20棟あった16〜17世紀に作られたフィリピンのバロック様式教会群は2つを残して破壊された。
独立以降
1945年の日本敗戦に伴い独立を失いアメリカ領に復帰することとなったが、1946年にフィリピン・コモンウェルスの組織を引き継いで戦前から約束されていた独立を達成した(フィリピン第三共和国)。冷戦下では地主支配打倒を訴える共産系のフクバラハップが勢力を拡大し、ルソン島ではゲリラ戦争が続いたが、1950年代中に共産ゲリラはラモン・マグサイサイの手によって一度壊滅した。その後、親米政権によって農地改革が行われたものの、実効性には乏しいものとなった。1965年より反共産主義を唱えるフェルディナンド・マルコス政権が成立し、腐敗した独裁体制を築いた。マルコス政権に対してモロ民族解放戦線や再建共産党の新人民軍(NPA)による武装蜂起が発生し、さらに民衆の不満が高まったため1986年に起きた「エドゥサ革命」によりマルコス政権は崩壊し、アメリカへ亡命した。
戦後、日本と同様極東アジアにおけるアメリカ合衆国の重要な拠点でありアメリカ軍に基地を提供したが、アメリカ軍のアジア駐留軍縮小およびピナトゥボ山の噴火に伴う基地機能の低下により、アメリカ軍は軍備を沖縄に集約しフィリピンから撤退した。
政治
{{main|フィリピンの政治|:en:Politics of the Philippines}}
{{see also|フィリピンの政党|フィリピンの首相}}
[[File:Malacanang palace view.jpg|thumb|250px|マラカンニャン宮殿は、フィリピンの大統領府である。]]大統領を元首とする共和制国家であり、フィリピンの大統領は、行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年で再選禁止。
議会は、上院と下院の両院制(二院制)。上院は、24議席で任期6年。3年ごとに半数改選。下院は、憲法上は250議席以下と規定されているが、現在は214議席。20%を政党別の候補者リストから、残りを小選挙区制で選出され任期は3年である。選挙は、2007年など3で割り切れる年に行われる。アロヨ政権は現在の大統領制から議院内閣制へ、両院制議会から一院制へ移行する憲法改正を提案するが進展は見られない。地方自治体の州、市町村の正副首長と地方議会の議員は任期3年。
東南アジア諸国連合(ASEAN)では創設以来の加盟国である。
大統領選挙
2010年5月10日投票で行われるフィリピン大統領選挙の立候補の届け出が2009年12月1日に締め切られた。ベニグノ・アキノ上院議員、野党の国民党のビリヤール上院議員、フィリピン大衆党からジョセフ・エストラーダ元大統領、ラカス(力の意)からテオドロ前国防相らの4人をはじめ99人が立候補届をしている。この後、選挙管理委員会が資格審査をする。2月9日に約3ヶ月におよぶ選挙戦が始まった。立候補を届け出た99人のうち選挙管理委員会によって適格と認められたのは10人。選挙戦では故アキノ大統領の長男で自由党のベニグノ・アキノ上院議員と野党・国民党のビリヤール上院議員を軸に、エストラーダ前大統領、アロヨ大統領が支持するテオドロ前国防相の4人の争いになるとみられている。最新の世論調査ではアキノ候補は37%、ビリヤール候補は35%、エストラーダ候補は12%、テオドロ候補は5%。選挙の争点は貧富の格差是正や政府による医療・保健事業の拡充、誰もが教育を受けられる制度の確立などである。なお、正副大統領選挙と同時に、約300人の国会議員、17,500人を超える地方自治体の正副首長と議員の選挙も行われる。[大統領選挙戦スタート=主要4候補、3カ月の論戦-比 2010年2月9日 時事通信]
フィリピン紛争
{{main|フィリピン紛争|:en:Insurgency in the Philippines}}フィリピンの共産主義勢力フクバラハップは、第二次世界大戦中に日本軍と戦い、日本軍の撤退後もアメリカ軍と独立後のフィリピン政府軍と戦闘を続けたが、1954年までにラモン・マグサイサイ指揮下のフィリピン政府軍に制圧された。1969年、毛沢東思想による革命と体制変革をめざすフィリピン共産党 (CPP)(再建共産党)は新人民軍(NPA New Peoples Army)を結成し、フィリピン政府軍に対する武装闘争を開始した。新人民軍(NPA)は、ルソン島を中心にフィリピン全国に展開し、フィリピンの軍隊・警察・インフラ・企業に対する武力攻撃を繰り返し、フィリピン政府軍は新人民軍(NPA)の武力攻撃に対して掃討戦を継続しているが、海外のテロ支援国家の支援を受けるNPAを完全制圧することは難しく、2007年10月現在、武力行使は継続中である。
ミンダナオ地区にイスラム教で統治する自治区を作ることを目的としたモロ民族解放戦線(MNLF Moro National Liberation Front)は、1970年にフィリピン政府軍に対して武装闘争を開始し、モロ国民解放戦線(MNLF)と政府軍の武力紛争は1996年まで継続した。1996年、モロ国民解放戦線(MNLF)はフィリピン政府との和平協定を締結して武装闘争を終結し、フィリピン政府はミンダナオ地区にモロ国民解放戦線(MNLF)のイスラム教による自治を受け入れ、現在はイスラム教徒ミンダナオ自治地域の与党として活動している。
モロ・イスラム解放戦線(MILF Moro Islamic Liberation Front)は、モロ国民解放戦線(MNLF)がフィリピン政府と和平協定を締結しようと方針転換したことに反対し、フィリピン政府軍との武力闘争を継続するために、1981年モロ国民解放戦線(MNLF)から分離独立し、フィリピン政府軍に対して武装闘争を継続した。1997年、モロ・イスラム解放戦線(MILF)はフィリピン政府と停戦協定を締結したが、その協定は2000年にエストラダ政権により破棄された。2003年、モロ・イスラム解放戦線(MILF)はアロヨ政権と停戦協定を締結したが、2005年モロ・イスラム解放戦線(MILF)は停戦協定を破棄してフィリピン政府軍に対する武力攻撃を再開し、2007年4月現在、武力行使は継続中である。
アブ・サヤフ(Abu Sayyaf Group)は、フィリピンのミンダナオ島、スールー諸島、ボルネオ島、および、インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマーなどの東南アジア地域にイスラム教で統治する国家の設立を目ざして、1990年にフィリピン政府に対して武装闘争を開始した。アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group)は、フィリピン政府軍および一般市民に対して爆弾攻撃、暗殺、誘拐・監禁、身代金要求を繰り返し、2000年以後は活動地域をマレーシア、インドネシアへも拡大し、2007年4月現在、武力闘争を継続中である。
フィリピン政府は新人民軍(NPA)、モロ・イスラム解放戦線(MILF)、アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group)の武力行使に対して、フィリピン軍とアメリカ軍による武力掃討とともに、武装勢力の指導者との対話・交渉による、和平協定の締結、武力紛争の終結、武装解除を目ざしているが、2007年8月現在武力紛争は継続中である。
フィリピン政府と反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線は、2009年12月2日に共同声明を出し、2008年8月に決裂した和平交渉を8,9両日に仲介国マレーシアのクアラルンプールで再開することを明らかにした。
国際関係
{{main|フィリピンの国際関係|:en:Foreign relations of the Philippines}}
米比関係
{{main|米比関係|:en:Philippines – United States relations}}
米比戦争でフィリピン人反抗者に多大な死者が出ていたのにも関わらず、基本的にフィリピンは親米的であり、アジアの中ではアメリカに対する好感度が高い国である。フィリピンは植民地から独立したが、アメリカが介入した朝鮮戦争、ベトナム戦争にも参戦し、現在行われている対テロ戦争にも参戦、反対世論が多かったイラク戦争も支持しており、東南アジア条約機構や米比相互防衛条約を結んでいる。英語教育が進んでいるために海外では出稼ぎに大いに役立ち、この影響でフィリピンは英語圏での出稼ぎに大いに役立っている。
1965年にアメリカの移民法が改正されるまではフィリピンからは年100人がアメリカに渡れるに過ぎなかったが、国別人数制限が撤廃され、より多くのフィリピン人がアメリカに入国できるようになった。この時期の出稼ぎは主として医師、看護師、技術者、歯科技工士など高度な専門職に就く者が多く、また1960年代にはホテルのボーイやメイド、看護師、家政婦などの職を得てヨーロッパに渡る者も出始めている。近年、旬な職業は「看護師」と「IT技術者」と言われており、特に看護婦不足のアメリカでは看護師資格で永住権が優先されるために家族も呼び寄せてそのまま移民するケースもあるという程である[http://blog.livedoor.jp/sunasan/archives/50073834.html]。
しかしフィリピン人の富裕層やエリート層がアメリカなどの英語圏に移住してしまうケースが多く、優秀な人材が海外へ移住してしまうケースが多いため、これが経済発展を妨げている。
現在ではフィリピン系アメリカ人(:en:Filipino American)はアメリカで2番目に多いアジア系で、移住や高い出生率で年々増加し、現在400万人存在する[http://www.geocities.jp/tajimanbou2001/thesis.html]。
地方行政区画
{{main|フィリピンの地方}}
ファイル:Ph regions and provinces.png地方行政の最上位単位は、州と公認都市である。州と都市の数は、2006年12月時点で、州が81、公認都市が61。これらは、17の地方にグループ分けされる。
| 地方 |
称号(タガログ語) |
中心都市
|
| イロコス地方 |
Rehiyon I |
サンフェルナンド (ラ・ウニョン州)、ラ・ウニョン
|
| カガヤン・バレー地方 |
Rehiyon II |
トゥゲガラオ、 カガヤン
|
| 中部ルソン地方 |
Rehiyon III |
サンフェルナンド (パンパンガ州)、 パンパンガ
|
| カラバルソン地方 |
Rehiyon IV-A |
カランバ、 ラグーナ
|
| ミマロパ地方 |
Rehiyon IV-B |
カラパン市、 東ミンドロ
|
| ビコール地方 |
Rehiyon V |
レガスピ市、 アルバイ
|
| 西ヴィサヤ地方 |
Rehiyon VI |
イロイロ市
|
| 中部ヴィサヤ地方 |
Rehiyon VII |
セブ市
|
| 東ヴィサヤ地方 |
Rehiyon VIII |
タクロバン市
|
| サンボアンガ半島地方 |
Rehiyon IX |
パガディアン、 サンボアンガ・デル・スール
|
| 北ミンダナオ地方 |
Rehiyon X |
カガヤン・デ・オロ市
|
| ダバオ地方 |
Rehiyon XI |
ダバオ市
|
| ソクサージェン地方 |
Rehiyon XII |
コロンダル市、 南コタバト
|
| カラガ地方 |
Rehiyon XIII |
ブトゥアン市
|
| イスラム教徒ミンダナオ自治地域 |
ARMM |
コタバト市
|
| コルディリェラ行政地域 |
CAR |
バギオ市
|
|-
| マニラ首都圏 || NCR || マニラ
地理
{{main|フィリピンの地理|:en:Geography of the Philippines}}
ルソン島・ヴィサヤ諸島・ミンダナオ島などを中心に、大小合わせて7109の島々から構成されている。南沙諸島(南沙諸島)で領有権問題を抱えている。
全国的に日本のような詳細な地図・道路地図は発行されておらず書店、空港などで購入できる地図も非常に大まかなものである。
[[File:Pana Banaue Rice Terraces.jpg|thumb|800px|ルソン島北部に広がる世界遺産フィリピン・コルディリェーラの棚田群]]
経済
{{main|フィリピンの経済|:en:Economy of the Philippines}}
アメリカ合衆国による植民地政策では農業政策が失敗し、スペイン時代のプランテーション農業に基づく地主と小作人の関係が現在も続いている。この地主は全国に数十人おり、彼らの家族が国土の半分以上の土地を所有している。農村部では半数以上が一日1ドル以下の生活をする最貧困層である。これが南部イスラム地域では75パーセント以上が最貧困層である。食料の自給率は遅々として回復せず、国民の生活は昨今の穀物価格の高騰やベトナム政府の米輸出制限措置の影響を大きく受けている。
資源に乏しいが、農業、軽工業、サービス、セブ島やボラカイ島などリゾートを中心とした観光業が主要な産業であるため、原油価格の変動を受けにくいとも言える。90年代のアジア通貨危機でもフィリピンは国際通貨基金の管理下にならなかった。フィリピンの経常収支は800万人に及ぶ出稼ぎの送金によって支えられている。主要な貿易相手国はアメリカ合衆国と日本である。1997年のアジア通貨危機のあおりを受けてペソ暴落に見舞われたが、経済がバブル状態ではなかったので、タイ王国、インドネシア、大韓民国に比べると回復は早かった。南部イスラム勢力との和解成立後、ミンダナオ島にもアメリカなどからの直接投資も入り始めている。90年代前半まではタイやマレーシアなどの他の東南アジア諸国が急成長する中「東南アジアの病人」と言われた程経済成長が伸び悩んだ時期があったが、前述で述べた通りアジア通貨危機で周辺諸国ほどダメージが少なかったことが幸いしその後製造業などが伸び、ここ数年経済成長率も概ね4~6%を推移している。東南アジアではベトナム・インドネシアと共にNEXT11の一角にも数えられており、今後も経済発展が期待できる国の一つに含まれている。
[[File:makati skyline mjlsha.jpg|thumb|800px|マカティは、首都マニラの南東に位置する都市である。 高層ビル群が立ち並ぶフィリピンのビジネス首都の位置付けをされ、「フィリピンのウォール街」とも呼ばれる副都心である。]]
交通
[[File:RP-C3434-2008-09-13-YVR.jpg|thumb|フィリピン航空のエアバスA340-313X機]]
[[File:Manila MRT3.jpg|thumb|マニラ・ライトレール]]
[[File:20090502TricyclePH.jpg|thumb|庶民の足トライシクル]]
航空
フィリピン航空、セブ・パシフィック航空、エアフィリピン、ゼストエアウェイズ、シーエアなどのキャリアがある。
鉄道
フィリピン国鉄、LRTなどの鉄道路線がある。
道路
マニラ南部ニノイ・アキノ国際空港近辺からカヴィテ州を結ぶ高速道路があるが、極短距離である。
近年は、SCTEX(Subic-Clark-Tarlac Expressway)やSkyway(マカティ-ビクータン)等の路線も開通しているが、マニラへ続く木の幹に当たる一本の幹線道路に全ての枝状の道路が集中する構造となる貧弱な道路網とあいまって、道路信号なども十分に整備されておらず、慢性的な交通渋滞が発生している。ごく短時間の間に警察官による車線規制を行い一本の道路が上り専用、下り専用道路として運用されることが有る。以下の代表的な交通機関がある。(料金はマニラ近郊基準)
初乗り25ペソ
日本の中古のバスを輸入して左ハンドルに改造したものが多い。座席は3列+2列の5列構造となっているものが多く、一席に付き25ペソである。子供を膝の上に乗せていれば料金はかからない。
初乗り7ペソ
{{main|ジープニー}}
初乗り25ペソ
メーターが付いているが、メーターを使わずメーター表示値の数倍相当額を要求するタクシーが多い。
初乗り13.5ペソ
{{main|トライシクル}}
海運
イギリスや日本と同様に島国であるため、フェリー、貨客船の航路が発達している。
国民
{{main|フィリピンの人口統計|:en:Demographics of the Philippines}}
住民は、マレー系が大部分(全体の90%程度)であるが、過去数百年で中国系(華人)やスペイン人との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。その他、山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオ、ミンダナオ島などの南部在住のモロ(イスラム教徒)などがいる。外国へ出稼ぎに行く国民が10人に1人はいる出稼ぎ国家で、外国で働く労働者が多いため、その他の混血の人も多い。その中でも、日本人、アメリカ人とフィリピン人等の民族のハーフの人が多い。
華人
フィリピン華人の大部分は中国福建省南部の出身である。明清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫である。現在でも中国語を話し、中国の習慣になれている者は60万人から80万人程度と推定される。
人口
2005年の人口は、87,857,473人。国際連合等の推計では、2020年には1億人を超え、2030年には1億1千万人、2040年には1億2千万人、2050年には1億2千7百万人になるとされる。
言語
{{main|フィリピンの言語|:en:Languages of the Philippines}}
国語はフィリピン語、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらのほとんどはアウストロネシア語族に分類されるが、アウストロネシア語族の言語間にもほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他に使われる言語にはスペイン植民地の歴史を反映してスペイン語(フィリピンのスペイン語)やチャバカノ語(スペイン語とそのクレオール言語)、中国語(北京語や福建語)、イスラム教徒の間で使われるアラビア語がある。アメリカの植民地であったこともあり英語がかなり普及しているが、ナショナリズムの高まりと共に政府はフィリピンが一体となって発展していくためには国内全域で通用するフィリピンの共通言語が必要であるとし、タガログ語を基本としたフィリピン語を作り普及に務めてきた。現行の1987年憲法は、フィリピン語を国語と定めるとともに、「フィリピンの公用語はフィリピン語と、法律による別の定めがあるまでは英語である。」と規定し、将来はフィリピン語だけを唯一の公用語とすることを宣言した。これに伴ない公教育においても、教授言語のフィリピン語への移行がすすめられ、フィリピン人の英語力は低下傾向にある。
宗教
{{main|フィリピンの宗教|:en:Religion in the Philippines}}
フィリピンは東ティモールを除けば東南アジア唯一のキリスト教国である。キリスト教はスペイン植民地時代に広まった。スペインが伝えたものは、カトリック教会であった。そのため、今でも人々のほとんどが、カトリック教会の信者である。キリスト教徒は、フィリピンの全人口の90%以上を占める。そのうち、カトリック教会が83%、プロテスタントが9%を占める。キリスト教の他には、スペイン人到来以前にもたらされたイスラム教が南部を中心に5%、仏教などが3%である。日本を発祥とする宗教はほとんど浸透していないが、創価学会の会員が存在している。イスラム教やキリスト教が入ってくる以前は、各島の自然の精霊などを信じる原始的な宗教(フィリピン神話)があった。(フィリピンの神話上の生き物も参照されたい)。
文化
{{main|フィリピンの文化|:en:Culture of the Philippines}}
食文化
{{main|フィリピン料理|:en:Philippine cuisine}}
フィリピンは国際捕鯨委員会 (IWC) を脱退しており、現在でも食用に捕鯨を行っている。
文学
{{main|フィリピン文学|:en:Philippine literature}}
口承文学を除いた文字によるフィリピンの最初期の文学は、スペイン語で『ノリ・メ・タンヘレ』(1886)、『エル・フィリブステリスモ』(1891)などを著したホセ・リサールに遡る。現地語による文学はフィリピン革命の挫折後、アメリカ植民地統治下でロペ・サントスによってタガログ語の整備がなされるまで時間が必要であった。現代の文学はタガログ語の他にも、英語や様々な現地語で書かれ、現代の著名な作家としては、『仮面の群れ』、『民衆』のF・ショニール・ホセ、『アンドロメダ星座まで』のG・C・ブリヤンテスなどの名が挙げられる。
世界遺産
フィリピン国内には、国際連合教育科学文化機関の世界遺産リストに登録された文化遺産 (世界遺産)が3件、自然遺産 (世界遺産)が2件ある。詳細は、フィリピンの世界遺産を参照。
File:San Agustin 2.JPG|フィリピンのバロック様式教会群 - (1993年)
File:Tubbataha Shark.jpg|トゥバタハ岩礁海中公園 - (1993年)
File:Rice Terraces Banaue.jpg|フィリピン・コルディリェーラの棚田群 - (1995年)
File:Historic town of vigan.JPG|ビガン歴史都市 - (1999年)
File:Sabang daylighthole.jpg|プエルト・プリンセサ地底河川国立公園 - (1999年)
祝祭日
| 日付 |
日本語表記 |
現地語表記 |
備考
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| 1月1日 |
元日 |
Araw ng Bagong Taon |
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| 1月1日(旧暦) |
旧正月 |
Araw ng Bagong Taon ng mga Tsino |
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| 2月25日 |
エドゥサ革命記念日 |
Araw ng EDSA Revolution |
コラソン・アキノが大統領に就任した日
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| 復活祭直前の木曜日 |
聖木曜日 |
Huwebes Santo |
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| 復活祭直前の金曜日 |
聖金曜日 |
Biyernes Santo |
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| 4月第三日曜日 |
復活祭 |
Linggo ng Pagkabuhay |
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| 4月9日 |
バターンの日 |
Araw ng Kagitingan |
バターン死の行進の日
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| 5月1日 |
メーデー |
Araw ng Manggagawa |
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| 6月12日 |
独立記念日 |
Araw ng Kalayaan |
革命軍の最高指導者エミリオ・アギナルド将軍が独立を宣言した日
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| 8月21日 |
ベニグノ・アキノ・ジュニアの日 |
Araw ni Ninoy Aquino |
ニノイ・アキノが暗殺された日
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| 8月最終日曜日 |
英雄の日 |
Araw ng mga Bayani |
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| 11月1日 |
諸聖人の日 |
Todos los Santos/Undas |
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| ヒジュラ暦9月の最終日 |
ラマダンの末 |
End of Ramadan |
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| 11月30日 |
ボニファシオの日 |
Araw ni Andres Bonifacio |
アンドレ・ボニファシオの誕生日
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| 12月25日 |
クリスマス |
Araw ng Pasko/Notsebuwena |
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| 12月30日 |
リサールの日 |
Araw ni Jose Rizal |
ホセ・リサールが処刑された日
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|12月31日 || 大晦日 || Medyanotse ||
スポーツ
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フィリピン武術(エスクリマまたはカリと呼ばれる)がフィリピンの国技である。バスケットボール、ボクシング、ビリヤード、バドミントンなどが人気を集めている。特にバスケットボールはアジアで初めてのプロリーグでありNBAに次ぐ歴史を持つフィリピンプロバスケットボールリーグ(PBA)を立ち上げ、国民的人気を誇る。また、バスケットボール世界選手権でのバスケットボールフィリピン代表は1954年にアジア最高位の3位の記録がある。
ボクシングやビリヤードは世界チャンピオンを多く輩出している。「アジアの怪物」と呼ばれているボクサーマニー・パッキャオや、ビリヤードのエフレン・レイズなどはその世界では伝説的である。パッキャオの世界的活躍は彼を祖国の英雄へと押し上げ、後に続くフィリピン人ボクサーの米国での成功や世界的評価の急上昇という好循環を齎している。
その他、チアリーディング、バドミントン、バレーボール、ソフトボール、ゴルフ、テニスなども人気がある。空手、テコンドーなども行われており、ボクシングを含めて格闘技が盛んである。気候的理由から、屋外スポーツはあまり人気がない。
災害
アメリカ地質調査所によると、2010年7月24日午前7時15分(日本時間同8時15分)ごろ、ミンダナオ島沖でマグニチュード7.4の地震が発生した。震源地は同島コタバトの西南西約120キロ、震源の深さは約617キロ。
参考文献
歴史
- 鈴木静夫『物語フィリピンの歴史-盗まれた楽園と抵抗の500年』中央公論社
- 大野拓司『現代フィリピンを知るための60章』明石書店
- 早瀬晋三『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』法政大学出版局
- 早瀬晋三『海域イスラーム社会の歴史-ミンダナオ・エスノヒストリー』岩波書店
- 関恒樹『海域世界の民族誌-フィリピン島嶼部における移動・生業・アイデンティティ』世界思想社
政治
- 野村進『フィリピン新人民軍従軍記-ナショナリズムとテロリズム』講談社
- 作本直行『アジアの民主化過程と法-フィリピン・タイ・インドネシアの比較』日本貿易振興会アジア経済研究所
- 五十嵐誠一『フィリピンの民主化と市民社会-移行・定着・発展の政治力学』成文堂
- 五十嵐誠一『フィリピンにおける民主主義への移行とその定着に関する総合的研究-市民社会の政治力学に注目して』早稲田大学出版部
経済
- 貝沼恵美など『変動するフィリピン-経済開発と国土空間形成』二宮書店
- 小野行雄『NGO主義でいこう-インド・フィリピン・インドネシアで開発を考える』藤原書店
文学
- 高野邦夫「フィリピン文学における日本兵の描写 : 1920年代から80年代までの作品を中心に」『拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 15』拓殖大学、2006年3月。
環境
- 津田守『自然災害と国際協力-フィリピン・ピナトゥボ大噴火と日本』新評論
国際紛争
- アンドリュー・ボイド『世界紛争地図』創元社
- ダン・スミス『世界紛争軍事地図』ゆまに書房
- 松井茂『世界紛争地図』新潮社
- フランソワ・ジェレ『地図で読む現代戦争事典』河出書房新社
- 日本経済新聞社『ベーシック-世界の紛争地図』日本経済新聞社
- 古藤晃『世界の紛争ハンドブック』研究社
- 毎日新聞社外信部『世界の紛争がよくわかる本』東京書籍
脚注
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関連項目
- フィリピン関係記事の一覧
- フィリピンのスペイン語(:en:Spanish language in the Philippines)
- ラテンアジア(:pt:Ásia Latina)
- 在日フィリピン人
- 日系フィリピン人
外部リンク
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- 政府
- フィリピン共和国政府 {{en icon}}
- フィリピン大統領府 {{en icon}}
- フィリピン大使館 {{en icon}}{{ja icon}}
- 日本政府
- 日本国外務省 - フィリピン {{ja icon}}
- 在フィリピン日本国大使館 {{ja icon}}
- 航空会社
- フィリピン航空 {{ja icon}}
- シーエアー航空 {{ja icon}}
- 観光
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- フィリピン政府観光省 {{ja icon}}
- その他
- JETRO - フィリピン
- アジア日本相互交流センター・ICAN
- 一般財団法人 日比総合交流協会・JPSEF
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